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※単なる自己主張・観察に基づく考察であり、客観的なデータなどには基づいていない内容であることを踏まえてご覧下さい。無論限りなく客観性は持たせての観察は心掛けておりますが、個々の話を元に医師と対決など面白いことはしないようにお願いします。何方か実際に検証される分には止めたりはしませんが、倫理違反などに問われても責任は負えないので、予めご了承下さい。 モノが見えるとか見えないとか目が見えるというのは、目がちゃんと機能しているかなどと言える。解剖学的に見ていくと恐らくは網膜が機能しているか、変性していないか、あとレンズが適切に調節されているかなどと言われ、分子生物学的には光受容タンパク質が機能しているのか、レンズ構成成分がやはり適切かなどと言われる。 さて私が見ている世界というのは、およそ想像される世界とは若干異なっている。概ねは同じなのですが、ライトのような自ら発光する対象や夜月のように周囲と比較して比較的強い光が発せられている場合は、かなりの残像を残して見える。漫画などで登場する分身の術よろしく。 分身の術は、非常に速い動きをすることで残像を残して云々と表現されるが、この残像が出来ている時間というのが幾分長いようである。これを分子生物学的に見てみると、恐らくはロドプシンの活性状態がやたらと長いことに起因しそうである。もっとも、最初からそうかといわれると、正直なところきちっとした記憶はないモノの、違うと思い、何かのきっかけがあったように思う。 目に悪いことの代表的行為は、暗いところでの読書と太陽の直視が挙げられる。他にもありそうですがとりあえずこの二つで。前者は視力に関してですので又後ほど触れることがあるかもしれません。で、後者は、単純に網膜に悪そうなのは印象として分からないでもないです。やはり分子的に考えてみると、ちょうど飽和した感じになるのかなと。それでも訪れるエネルギーの塊「光」を浴び続けたら、何処がどうなるとは指摘できないモノの全体として影響をおよぼすことを否定は出来ないと思います。 で私の場合は、余り余ったエネルギーが遺伝子にかその発現体であるタンパク質にか作用して下さいまして、光に鈍感な表現系となったのではということ。実際の所モノの認識に至までのタイムラグを感じることがあるので、鈍感なのは事実かなと。立ち上がりも遅ければ、片づけも遅い。私の性格その物にも思えますが、それは又別件であり関係ないと思います。 こんなことを書いてみる気になったのも、まぁタイトル通りといえばそれまでですが、変なことを書き綴り、偶然目に止まったヒトに変なことを考えて貰ったり、知覚に関して注意を向けて色々と見て欲しいなと思ったり。特段強い希望やらは特にないですが、人生少しは味気あるものに感じられると良いな〜ぐらいの発想です。 モノの見え方でしたが、そんな理由で、私には三日月が残像残りすぎて満月のようにぼやけて見えます。立体視の時に利用するような焦点をずらす技により、片目ずつの画像を用意して、それぞれを注意深く見てみますと、各々三日月が縦に5〜7行、横に7〜10列ぐらいに並んでいました。これが大雑把にひとまとまりにされているので、三日月が満月風なのだな〜と。 三日月のように遠い位置にある場合はそんな感じです。近場のライトなどでは単純に複数重なって、輪郭が直径にして2倍くらいにぼやけて見え、一応中央に最も明るい像が得られます。こんな面白い目です。モノをじっと見つめているように見え、眼球は細々と動いていると思うのですよ。でその小さな動きのそれぞれで残像を作り、とはいえ注視しているところを中心にはするので、ある種のガウス分布みたいなぼやけた像かな〜と。正常な場合は少しそらした場合、それ以前の像は綺麗さっぱりかき消えているので普通では残りません。漫画の分身などはそうした普通のヒトでも残る程度の速度で動くと言うことです。私が目の当たりにしたら余計に人数見えて面白いだろうな〜とは思います。まぁ実際に分身の術使われる方は残像を作りやすいような動きを取り入れているのだろうと思います。ムーンウォークみたいな。…まいいや。 なお分子生物から解剖学的に舞い戻りますが、私の網膜の神経が集まり脳へ向かうその部分が、眼底写真を撮りますと真っ白だそうです。眼科医は特に何も言いませんでしたが(何かの病気が有るとも無いとも)全反射しているのかな〜という印象です。そこで放たれた光は目のレンズに送り返され、さらにレンズで反射した光により網膜の別な場所に再び像を作るとしたら… なおのこと、私の見え方を説明できている気がします。説明が出来たとしても何ら解決にならないのがこの業界の面白いところです。 視力に関して。 網膜についてはそんなところかと思いますが、もう一つの主要器官(?)レンズ。最後にちらっと出しましたが、この部分の調節も見るという意味では大切です。 暗いところで本を読むと目を悪くする。よく言われる話ですが、ちゃんとした(?)説明を聞いた記憶もなかったりします。一方で実際にそれにより目を悪くされた方が大勢いらっしゃることも事実ですので、全く誤りを言っているということでもないようです。 暗がりで本を読むというのは、主に二つの要因があるように思います。暗さと距離。暗さは瞳孔を開くことと、少ない光量で像を結ばせるための需要側に大きな負担。距離は、多くの方が文字に焦点を合わせてしまうことが変な動きをレンズ調節の基本としてしまう、そんなところでしょうか。 思うに、通常では、そのあたりを見る場合の焦点の位置というのは、かなり遠い位置にあるように思います。カメラなどでは∞となっている感じで、両目の間隔に対して桁違いの位置に置かれています。その状態で得られる両目の像を脳の中で解釈して良い感じの立体的な情景が構成されます。安いカメラでは焦点の位置が異なるので、撮影後の像が見た感じと異なる原因でしょうか。花などを撮影するモードでは、対象とする花などに焦点を合わせている様に、わざとなのか、その周囲はぼかしてそれらしく見せています。 こんな具合に近い距離に焦点を起き続けた結果が、遠視という状態。遠くのモノを見るための焦点の位置調節が出来ないことと、遠くに置いた場合の像の結合に失敗している、この二つが相まってるのかなと。 この発想は、遠視の適切な治療に結びつかせるモノです。多くの方は視力はそうそう回復しないと考えていると思います。あるいは何か道具のようなモノを使わなければならないと。実際そういう機械売っていますし。別な視力回復の可能性を謳っている商品としては、少し挙げました立体視の本です。近すぎる焦点を遠くに置く練習により回復しているのだろうと、これは割と正しいように思います。ただし、立体視のやり方は二通り有り、焦点をより手前にする方法と、遠くへ飛ばす方法です。後者は回復に役立つでしょうが、前者はむしろ悪化します。私は両方遊んでいますが、気を抜くと手前に来るので若干視力は悪いです。気付かずに手前にだけして視力回復を期待されている方は、辞めるか正しい方法を出来るようにして下さい。 ところで視力というもの。これも割と取り扱いの難しいもので、テレビなどで視力6とか12とか凄い数字をたたき出す方がいらっしゃいますが、どうもこういう方は遠視的のようで、もっと遠いモノはもちろん、近すぎると不鮮明になるようです。3m離した状態での見え方を言うにすぎず、生活をしていく内で異なる距離のモノを見る場合は視力が同じでも同じように見えるとは限らない。 なおwikipediaを見ると、外部環境のみを考慮しており、立体視のような意識的な変化まではついて行けていないので、まぁ科学的と冠打たれると太刀打ちは出来ないモノの、誤解でもないだろうな〜と。近視に対する誤解を読んで思うわけです。 視力といいますか、ピント合わせはその人が生きている環境に合わせられていきます。必要とされる距離のモノを見やすいように補正され、そこからずれたモノには無頓着。それで問題がない場合もありますが、結局モノが見えないなどの問題となり浮上することもあるってところか。科学的な根拠などは残してませんけれど。視力にそのものが測定の時に主観が入るわけで、視力その物が非科学的にも思いますね。私なんかですと、測定しているその場に置いてすら、ぼやけたり鮮明になったりしますので(笑 散文形式なのは、ヒトに読む気を無くさせることと、ストーリーはあるモノの思いつくままに綴っているからという背景があったりです。なので一貫性は結局ない気もしますね。突然の閑話休題も始まったりと、読み手に優しくないページなのです。まぁ時間にゆとりがあればゆっくりと誤りなどを探してみるのが良いかと思います。 wikipediaを見て思うことをもう少し書くと、近視と視力低下をごっちゃにしているのかな〜と。眼鏡をかけると近視が進むのは迷信としています。が視力低下はするのだろうな…と暗に感じさせますし、実際に視力が悪くなった人はいても回復したヒトは聞いたこと無いです。wikipediaも使い所次第だな〜とつくづく思います。俗説として「近くを見続けると仮性近視状態となり、常態化により近視となる」と挙げられてはいるようです。 ともあれ、モノが見える見えないという話では、近視・遠視というモノは考えない方が無難に思えてきたので、忘れて下さい。何れも状態にすぎないので。その状態でモノを見るために、レンズの調節があり、網膜での認識があり、脳での情報処理があるって感じに。 では視力の回復を考えてみます。と、何となく思うわけですが、視力が回復したってのはどんな感じでしょうか。少し先にある小さな文字が読めるとか、そう言うモノだと思います。…ので、回復させる一歩は、綺麗に見える状態を何とかして再現する、これに尽きると思います。所謂100点はどんなモノかを知ることです。このために眼鏡などを用意するのは悪くないと思います。眼鏡をかけた風景をかけないでも見られるようになる、そんな目標代わりと思って下さっても。 ゴールを認識したら、外して練習です。基本は立体視の遠くを眺めるパターンで、とにかく視点を遠くへやりつつ「手前」のモノを眺めること。そして手前のモノがぼやけすぎず適度に鮮明に映るよう色々とやってみて下さい。遠くを見つめつつ近場がそれなりに眼鏡をかけたような輪郭で見えたら回復☆。 視力にはその他に、前後の動きを把握する動体視力というモノがあるようで、これを鍛えてみるのも効果有りです。前後に動くそれぞれに的確な見え方を合わせることが出来れば、素早い遠方・近方間の視点のやりとりが出来ると言うことですので。 そのためのお遊び画像を作ってみました。最初は大きく(=近く)に鍵穴があり、次第に小さく(=遠く)になります。大きな画像、小さな画像、それぞれを注視することを心掛けてみたら良いのかな〜と。 まぁ身体の硬いヒトが柔らかくなるように、ピント調節を柔軟に出来るようになれば、ある程度は解決するだろうという感じですね。 近視・遠視・視力との関係に関しましてはそれぞれの概念(というか判定法)が既に非科学的ですので、主観であれば主観で応じた方が余程科学的な対処かなと思うのです。 |
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